体の調子と、あなたの気分は別のもの 状況に巻き込まれないための小さな練習

体の調子と、あなたの気分は別のもの 状況に巻き込まれないための小さな練習

状況は選べなくても、心の置き場所は選べる 中村天風の「気分をきいているんだ」を自分の人生に置いてみる

「大丈夫?」と聞かれて、答えに詰まるとき

「最近どう?」と聞かれて、「まあ、なんとか」と答える。

本当は、なんとかなっていない日もあります。
でも「つらい」と口にした瞬間、ここまで踏ん張ってきた自分が崩れてしまいそうで怖い。
かといって「元気だよ」と言えば、自分に小さな嘘をついたような後味が残ります。

つらいと言えば負けた気がする。大丈夫と言えば、自分を置き去りにした気がする。

人生をそれなりに真剣に生きてきた人ほど、この二つの間で立ち止まることが増えるのではないでしょうか。

「前向きに考えようよ」という励ましの正しさは、よくわかっています。
わかっているからこそ、少しだけ腹が立つ。
こちらの事情も知らずに、簡単に言わないでほしい。
そう感じるのは、あなたが弱いからではなく、現実の重さをちゃんと知っているからだと考えられます。

今回は、そんな人にこそ読んでほしい言葉を紹介します。
一見すると「気の持ちよう」の話に見えますが、じっくり読むと、もっと誠実で、もっと現実的な話が見えてきます。

言葉の背景 重い病を抱えた一人の男の話

言葉の主は、中村天風(なかむら・てんぷう)という人です。
明治から昭和にかけて生きた思想家で、一般には、若いころに重い結核を患い、治る道を求めて海外を渡り歩いたと伝えられています。
その後、自らの体験をもとに「心と体の使い方」を説き、多くの経営者や文化人に影響を与えた人物として知られています。

今回の文章は、作家の宇野千代さんが天風の語りをまとめた『天風先生座談』に収められているものです。
本書では、病に苦しんでいた若き日の天風が、言葉も通じない土地で、ただ一人頼りにしていた師から語りかけられた場面として紹介されています。

師はまず、病や不運というものは「お前の生き方は間違っているぞ」と気づかせるための警告であり、それは慈悲(相手を思いやる深い心)なのだ、と語ったとされています。
それを聞いた天風は、声を上げて泣いたそうです。

ああ、そうか。知らなかった。俺はいままで、病いにかかったことを、朝晩、ただ逆恨みに恨んでいた。神も仏もあるものかい、とね。

(宇野千代・中村天風『天風先生座談』より)

ここは、少し丁寧に受け止めたいところです。
「病気になるのは生き方が悪いからだ」という意味に読むと、いま病と向き合っている人をひどく傷つけてしまいます。
むしろ注目したいのは、天風が「朝晩、ただ逆恨みに恨んでいた」と正直に語っている点ではないでしょうか。

ちゃんとやってきたのに、なぜ自分がこんな目に。
そう思う気持ちは、誰の心にも起こり得るものです。
あの天風でさえ、最初はそこにいた。
そのことに、少し救われる気がします。

核となる言葉 「病いは病いだ」

そして師は、こう続けます。

病いは病いだ。苦しみは苦しみだ。病いにかかったといってからに、心まで病ませる必要はなかろう。肉体に病いがあろうと、心まで病ませる必要がどこにあるか。

(宇野千代・中村天風『天風先生座談』より)

この言葉で、まず大切にしたいのは最初の二文です。

「病いは病いだ。苦しみは苦しみだ。」

師は「病気なんて気のせいだ」とも「苦しみを忘れろ」とも言っていません。
つらいものは、つらい。まずそれをそのまま認めています。
ここが、世の中にあふれる「ポジティブに考えよう」とは大きく違うところだと考えられます。

私は税理士として、多くの経営者の方の帳簿を見てきました。
帳簿には、良いことも悪いことも、事実をそのまま書きます。
赤字を黒字と書けば、それは粉飾(数字をごまかすこと)です。
天風の師が言っているのは、赤字を黒字と書け、という話ではありません。

「今期は赤字です。それは事実です。でも、社長であるあなたの心まで赤字にする必要はありますか」

そう問いかけているように、私には聞こえます。

「気分をきいているんだ」 状況と心は別の帳簿につけられる

師の言葉には、もう一つ印象的な場面があります。
師は天風に、毎朝「ハウ・ドゥ・ユー・ドゥ(ご機嫌いかが)」と尋ねていたそうです。
そのたびに天風は、体の不調を答えていました。
それに対して、師はこう言います。

いかに汝はあるか、というのは、お前の気分をきいているんだ。

(宇野千代・中村天風『天風先生座談』より)

さらに、こうも続けます。

お前の気分はどうだい、ときくのに、いつでもお前は、やれ頭が痛いの、けつが痛いの、すべったの転んだの、一ぺんでも、体は悪くても私の気分は爽やかでござんす、と言ったことはねェじゃねェか。

(宇野千代・中村天風『天風先生座談』より)

ここには、とても大事な区別があります。
「体の状態」と「気分」は、別のものだということです。

たとえるなら、家の外は雨が降っていても、家の中に明かりをつけることはできます。
雨を止めることはできません。
でも、部屋の明かりまで消してしまう必要はない。

私たちは、つい「状況」と「心」を一枚の帳簿につけてしまいます。
仕事がうまくいかない。だから私は駄目だ。
体調が悪い。だから気分も最悪だ。
こうして、状況の赤字がそのまま心の赤字として書き込まれていきます。

師が言う「捲き込まれる」とは、まさにこの状態のことではないでしょうか。
状況と心を、別々の帳簿につけてみる。
それだけで、見えてくる景色が少し変わるかもしれません。

三つの小さな物語

ここで、私がこれまでに出会ってきた方々の話を紹介します。
どなたも、個人が特定されないよう状況を大きく変えています。

「数字の話」しかしなくなっていた店主

地方で長く飲食店を営んできた、六十代のAさん。
常連さんが少しずつ減り、売上の下がる年が続いていました。

打ち合わせのたびに、Aさんの口から出るのは数字の話です。
「今月も前年割れで」「仕入れがまた上がって」。
あるとき私は、ふと尋ねました。
「数字の話ではなく、Aさんご自身は、最近どうですか」

Aさんはしばらく黙って、それから笑いました。
「そんなこと、考えたこともなかったなあ」

店の調子が悪いことと、Aさんが元気かどうかは、本来は別の話です。
それでもAさんは、何年も店の数字を自分の顔色にしてきたのでした。
その日を境に、Aさんは「店は厳しい。でも俺は、まだ料理が好きだ」と口にするようになりました。
売上がすぐに戻ったわけではありません。
それでも、新しい献立を試す元気が戻ってきたそうです。

「大丈夫」しか言えなかった人

親の介護と仕事を、十年近く両立してきた五十代のBさん。
誰に聞かれても、答えは決まって「大丈夫です」でした。

「私が弱音を吐いたら、この家は回らない」
Bさんはそう思っていたそうです。
でも「大丈夫」と言うたびに、胸の奥が少しずつ重くなっていきました。

Bさんが変えたのは、答え方のほんの一部です。
「体はくたくた。でも、気分はまあまあ」
前半で、事実を正直に言う。
後半で、心の状態を別に言う。

「全部大丈夫って言わなくていいんだ、と思ったら楽になりました」
Bさんはそう話してくれました。
嘘をやめたことで、かえって心が軽くなったのだと考えられます。

「ちゃんとやってきたのに」と思っていた人

若いころから努力を重ね、会社で信頼されてきたCさん。
五十代で体調を崩し、長く仕事を休むことになりました。

「真面目にやってきたのに、なぜ自分が」
Cさんの言葉は、天風の「逆恨み」とよく似ています。

Cさんが始めたのは、毎朝ノートに二行だけ書くことでした。
一行目は「体」。二行目は「気分」。
「体:だるい。気分:窓の光がきれいだった」
そんな日もあれば、「気分:よくない」と書く日もあったそうです。

それでも続けるうちに、体の調子が悪い日でも、気分まで悪いとは限らないことに気づいていきました。
「病気の自分」と「自分」を、少しだけ離して見られるようになったのです。

最初は「ばかばかしい」でいい

天風の師は、毎朝の問いかけに「アイ・アム・クワイト・ウェル(とても元気です)」と答えるよう命じたと、本書では紹介されています。
言わなければ口を利かない、とまで言われたそうです。

天風自身は、そのときのことをこう振り返っています。

最初の中は馬鹿馬鹿しいような感じですよ。

(宇野千代・中村天風『天風先生座談』より)

本書によれば、最初は情けない声で答えていたものの、一週間、十日、半年とたつうちに、誰に聞かれなくても自分から明るく挨拶が出るようになっていったといいます。

この話で私が心強く感じるのは、天風が最初から心を込めて言えたわけではない、という点です。
ばかばかしいと感じながら、それでも言い続けた。
すると、言葉のほうが先に進み、心があとからついてきたのです。

人は「心が整ったら、行動しよう」と考えがちです。
でも実際には、順番が逆のこともあるのではないでしょうか。
形から入ることは、決して不誠実なことではありません。
新しい靴が最初は足になじまないように、新しい言葉も、最初は口になじまないものです。

今日から試せる、小さな練習

では、この言葉を自分の暮らしにどう置いてみればよいでしょうか。
いくつか、すぐに試せることを挙げてみます。

一つめは、「状況」と「気分」を分けて書くことです。

Cさんのように、ノートや手帳に二行だけ書いてみる。
「状況:締め切りが三つ重なっている」
「気分:追われているけれど、嫌いな仕事ではない」
書き分けるだけで、心が状況に飲み込まれる前に、ひと呼吸おけるようになると考えられます。

二つめは、答えの後ろに「でも」を足すことです。

「疲れている。でも」
「うまくいっていない。でも」
この「でも」のあとに続く言葉は、無理に明るくなくてかまいません。
「でも、今日は晴れている」くらいで十分です。
事実を否定せず、心の置き場所をもう一つ用意する。
Bさんがしたのは、まさにこのことでした。

三つめは、朝いちばんに、自分で自分に聞いてみることです。

「体はどう?」ではなく、「気分はどう?」と。
誰も聞いてくれない日でも、自分なら聞いてあげられます。
最初はぎこちなくても、それで大丈夫です。
天風でさえ、最初は情けない声だったのですから。

四つめは、巻き込まれている自分に気づいたら、責めずに「いま巻き込まれているな」と心の中でつぶやくことです。

気づけた時点で、もう半歩外に出ています。
責める必要は、どこにもありません。

一つ、付け加えておきたいことがあります。
これはあくまで、自分に向けて使う練習です。
つらそうな誰かに「気分は爽やかだと言いなさい」と押しつけるための言葉ではありません。
天風の師の厳しさは、深い信頼関係があってこそのものでした。
人に向けるなら、まずは「体じゃなくて、あなた自身はどう?」と、Aさんに私が尋ねたように、そっと聞いてみるくらいがちょうどいいのではないでしょうか。

まとめ 人は、自分を高めるために生きている

本書には、天風が人間の生きる意味について語る場面もあります。
ぜいたくをするためでも、苦しめられるためでもなく、人間には人間にしかできないことがある、という話です。
その結論として、天風はこう語っています。

この世に万物の霊長として生れ来しゆえんのものは、エレベーション(高める)という、造物主の目的に順応するためだ。

(宇野千代・中村天風『天風先生座談』より)

少し言葉を補うと、「万物の霊長」は生き物の中で最も優れた存在、「ゆえん」は理由、「造物主」はこの世界を造った大きな存在、という意味です。
つまり、人がこの世に生まれてきた理由は、自分を高めていくことにある、という考え方です。

この言葉を、自分の人生に置いてみると、何が見えてくるでしょうか。

うまくいかない時期も、体が思うように動かない時期も、人生から外れた「無駄な時間」ではない。
むしろ、状況に振り回されずに心を保つ力を育てる時間なのかもしれません。
順調なときには、この力は育ちにくいものです。
雨の日があるからこそ、部屋の明かりのありがたさがわかるように。

人生をちゃんと生きてきた人ほど、簡単な正解では満足できなくなります。
それは、現実がそう甘くないことを、身をもって知っているからです。
天風の言葉が心に残るのは、それが「現実から目をそらせ」という話ではなく、「現実は現実として受け止めたうえで、心だけは明け渡すな」という話だからではないでしょうか。

状況は、すぐには変えられないことが多いものです。
でも、心の置き場所は、今日からでも選び直せます。

最後に、天風の師にならって、一つだけ問いかけてみます。

体のことでも、仕事のことでもなく。
いま、あなたの気分は、どうですか。

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